この街独特の、急な階段を上るとまず、目につくのは、傘立て。入り口は、ガラス越しに、人の気配の見える、家庭に、よく見られるリビング風の扉。ノブに、手をかけて、思わず、「ただいまあ」と言う言葉が、口をついて出そうな雰囲気である。
“パパ“、開店当時は、名前の字体が、かっこいいと思ってつけただけと語るマスターは、飲食店経営も長く、席について、さっそく出されるお通しは、手をかけた家庭の味。
これは、男性は、もちろん、仕事帰りの、ベテランOLさん、一人暮らしの若い客には、かなり、魅力。まず、ほっとする。
カウンターの中に、どっしりと、座るマスターは、団塊の世代の、しっぽのあたり、社会的認知は、“中年”、心は、“少年…不良少年?”、ふと、気づくと、近頃、悩める若い客に頼られて、“パパ”を、演じている自分がいてと。
寡黙そうに見える“パパ”の、「性差なし、年齢なし」の、包容力は、この店で、例えば、年配の客が、若い子の、言語圏に、違和感なく入り込んだり、又、意外に、本音よりは、たてまえ的な、ものの考え方をしたりしている近頃の若い世代が、古いものに興味を示したり、あるいは、マスター言うところの、「トランスセクシュアリティ」の、世界をもつくりだしているのかもしれない。
この店の常連さんが、自分の店を、ゴールデン街に開店させた例も、少なくないというのは、この、“パパズワールド”に、魅せられて、ということも、言えそうである。
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